2015-09-01 第189回国会 衆議院 環境委員会 第11号
この琵琶湖総合開発特措法のみならず、滋賀県の中にあっても、粉石けん運動というものを、当時、武村正義滋賀県知事が提唱されて、県民運動として大きく展開をされました。そのことによって、日本全体の洗剤メーカーをも動かし、無燐洗剤の開発が大きく伸び、今日ではそれが当たり前のようなマーケットになってきたところでもあります。
この琵琶湖総合開発特措法のみならず、滋賀県の中にあっても、粉石けん運動というものを、当時、武村正義滋賀県知事が提唱されて、県民運動として大きく展開をされました。そのことによって、日本全体の洗剤メーカーをも動かし、無燐洗剤の開発が大きく伸び、今日ではそれが当たり前のようなマーケットになってきたところでもあります。
しかし、都市に暮らす住民からは、逆に水道水がどこから来るのか、水道水が蛇口をひねれば出てくる、その水道の蛇口の向こう側にやっぱり思いをはせることができる住民を増やしたいということで、水を手元から汚さない暮らしということでは石けん運動やら、あるいは足下の地下水を守る運動、こういうことをしてまいりました。 東京でも多摩地域では、実は地下水、日量で三十八万トンくみ上げ使っております。
なぜかといえば、その武村さんが知事時代に、母なる琵琶湖を抱いている私たちがこの琵琶湖で栄養化を、これ以上赤潮発生しちゃいけないという粉石けん運動から始まっているんですね。
粉石けん運動や、それから有機の野菜や、安心、安全な食べ物ということで、私は生協で育ててもらったというふうに思っています。 私も大学を卒業してから地元の生協に入って、子育てをして、働いて、生協の組合員をやってきました。
これは以前に、中山前大臣のときにも申し上げたんですが、ちょうど五十四年に県会議員にならせていただいたときに、滋賀県は琵琶湖の水質をしっかりと確保していかなければならないということで、富栄養化防止条例、つまり粉石けん運動がスタート、条例でできました。奥さん方は粉石けんに一生懸命力を注いで水質保全に努力をいただく。
そして、粉石けん運動を奥さん方がやっていただいておる、だから、家庭でもそういうこと、工場にしても排出規制を厳しくやる、そういう流れで条例ができたわけなんです。 そのときに私はふと思ったんですが、確かに家庭でも排水のそういう粉石けん運動なり、いろんな工場も力も入れる、しかし、これは教育の中で何かできないだろうかと思って、五十六年の県議会で提案させていただいて、船をつくってくださいと。
要するに、これはもともと、てんぷらの廃油ですけれども、油を、滋賀県の琵琶湖が汚れるというので、初め、粉石けんにしようということで、油を回収して粉石けんにしたんですね、石けん運動。
石けんの問題も、この間G8を滋賀県でやりましたが、琵琶湖も石けん運動をすごく頑張っているときは本当によみがえったんですが、関心が薄れてきたらすぐにまたそれが出てくる。 私も、今週の月曜日、厚木に行きました。
滋賀県は、石けん運動に象徴されますとおり、官民一体となった環境運動が有名でありまして、環境先進県という呼び声にふさわしい運動が推進されています。また、先ほども申し上げましたとおり、京都は一九九七年にCOP3が開催をされ、これを契機に、近年環境問題への取り組みが急ピッチで進んでおります。
地元のことばかりであれでございますが、琵琶湖条例を五十六年に滋賀県はつくったわけですが、そのときも工業団地の奥さん連中が工場の排水規制のことを勉強なさって、そしてみずからが行動を起こしていこうということが県内に広まって、あの琵琶湖条例、石けん運動がスタートしたわけであります。
○武村国務大臣 この世界の議論は大変英語が多いので残念でありますが、私も、二十年ほど前に琵琶湖で赤潮が発生して、文字どおり広範な粉石けん運動、市民運動が起こって、そういう背景で条例等を制定させていただいた経験があります。ですから、十数年前に県にボランティアセンターというのを設立した経験もございます。